デス・オーバチュア
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暗い森の中、レトロ(復古調)な雰囲気の真っ黒な制服の上に青い外套を羽織った青年が佇んでいる。 青年は、鮮やかな青い髪と瞳をしていた。 空の青とも、海の青とも、氷の青とも違う、原色たる青。 「ふん、餓鬼が捨て猫を拾ってくるなら珍しくもないが……猫が餓鬼を拾ってくるかよ、普通?」 青年は、背後を振り返りもせずに呟く……いや、話しかけた。 気配をまったくさせずに、近づいてくる『猫』に……。 「ふん、儂もお主も疾うに『普通』ではなかろう」 猫……猫のような耳と尻尾を生やした幼い少女が答えた。 「ちっ……」 青年は手に持っていたブランデー(果実から作った蒸留酒)の酒瓶(ボトル)を口をつける。 「……ふう、で、喰うのか、化け猫?」 青年は一口ブランデーを飲んだ後、吐息と共に尋ねた。 「戯け、儂は人喰いなどせぬわ!」 「そうだったか? 古今東西、化け猫は人に祟るか、人を喰らうモノだと思ったがな…」 青年は飲み尽くしてしまった酒瓶を手でぷらぷらとさせて弄んでいる。 「儂は『化けも猫』ではなく、『黒猫』じゃ!」 「ああ、そうだったな……『捨て猫』……」 「ぬうっ! それを言うならお主などふられ……て、おい、待たぬか!」 「酒が切れた……『狩って』くるから、先に帰ってろ」 青年は、黒猫を置いてさっさと歩き去っていった。 「……重い……」 ガイ・リフレインの目覚めは最悪だった。 悪夢という程ではないが、つまらない過去の夢を見たような気がする。 理由は目覚めた瞬間に即解った……重石が二つも自分の上に乗っていたからだ。 「…………」 「んにゃ……」 青銀色の髪の幼女アルテミスが、ベッドで仰向けに寝ていたガイの上で死んだように静かに眠っている。 それだけならまだいい、問題は、アルテミスの上にさらにクリーム色のふわふわの髪に猫耳を生やした幼女が丸まって寝ていたことだ。 「……自分と同じサイズの女に乗られてよく平気で寝ていられるな……」 欠片の乱れもない定期的で微かな寝息が無ければ、死んでいるようにしか見えない。 「アルテミスは別にいい……問題は……この馬鹿猫だ……わざわざ人型に化けて他人の上で寝るなっ!」 ガイはブリッジするようにして、乗っていたアルテミスとアニスを上空にはね除けた。 そして、二人が落ちてくる前に、素早くベッドから降りる。 アルテミスは空になったベッドの上に落下したが、目覚める気配は欠片もなく、何事もなかったように眠り続けていた。 「……何じゃ? 朝から元気な奴じゃのう……」 しっかりと両足で、ベッドの脇に着地したアニスは欠伸を噛み殺す。 「年寄りの方が朝は元気なものだろう、普通?」 「それを言うなら、ただ単に年寄りは朝が早いだけじゃ……それに、儂は年寄りでは無いから朝は早くない、まだまだ眠いわ……」 アニスはベッドに腰を下ろした。 「……あんたが年寄りじゃない? 笑えない冗談だ……」 この猫耳メイド幼女は、ガイが初めて会った時からまったく歳をとっていないのである。 「ふむ、いろいろと説教してやりたい発言があったが……母は寛大ゆえに許してやろう」 「……恩着せがましい……」 「さて、本題じゃが……いつまでここで時間を潰しているつもりじゃ?」 「…………」 「まあ、確かにここは居心地良いがのう……あやつに会いに行くのじゃろう? 大陸間の転移はしんどいので儂はしてやらぬぞ……かといって正攻法で行くのであれば極東は遠い……儂の言いたいことが解るか?」 「行くなら、一日でも早く出立しろだろう? ふん、あんたが一秒でも早くあいつに会いたいだけじゃないのか……?」 「さて、それはどうかのう……大人の関係は複雑怪奇な戯れなのじゃ」 「訳の解らないことを……心配しなくても今日にも立つ……それでいいだろう?」 「うむ、それでよい。では、儂は最後にもう一眠りさせてもうとしよう」 アニスは満足げな笑顔を浮かべると、アルテミスの寝ているベッドに飛び込むのだった。 「ああ、これはポッキリ折れてるな」 ルーファスは、二つに折れた魂殺鎌を一瞥するなり、きっぱりと言い切った。 「それにしても見事に叩き折ったもんだ……」 本体を左手に、折れた刃を右手に持って、切断面を繋げてみたりする。 「ゼノンみたいに極められた技で『斬った』んじゃない……正真正銘小細工無しの力押しで折ったのか……同じ神柱石製の武器を使ったとはいえ大したものだ」 「…………」 タナトスは驚いた。 この男が素直に他人を誉めるなど物凄く久しぶり……いや、もしかしたら、初めてのことかも知れない。 「核は破壊されていない……あくまで刃を折られただけか……まあ、人間で言えば背骨を折られた程度の軽傷だな」 「いや、それは重傷じゃないのか……?」 人間だったら下半身が麻痺したりする程の重傷のはずだ。 ルーファスはタナトスのツッコミを無視して、魂殺鎌の診察を続ける。 「もう少し綺麗に断ち切られていたらくっつけるのも楽だったんだけどな……乱暴に打ち砕かれてやがる……これは、自己修復任せだとかなり時間がかかるぞ……」 「自己修復!? 治るのか勝手にっ!?」 「ああ、治るぞ……二、三百年待てばな」 「三百年!?」 タナトスは闇の中に一条の光明(希望)が見いだされたかと思った次の瞬間、完全なる暗闇(絶望)に叩き落とされた気分だった。 まさに、ぬか喜び。 希望が見えたからこそ、絶望がより深まった。 「まあ、神柱石が拳一握り分でもいいからあれば……俺の手で速攻で直せなくもないがな」 「直せるのか!?」 「材料さえあればだけどね」 ルーファスはそう言って意地悪く笑う。 「誰かの神剣を奪って材料にしてみるかい?」 「むっ……」 それは限りなく不可能なことに思えた。 神剣の所有者は、目の前のこの男を筆頭に、全員が一癖も二癖もある者ばかり、全員がタナトスの手に余る化け物と言ってもいい。 「まあ、とにかく神柱石が手に入ったら直してやるよ。捜してみるか? 神の世界の石を地上……人間の世界でね……」 ルーファスの表情は、無駄だと思うけど頑張ってねといった感じだった。 ルーファスの仕事場を後にしたタナトスは、山道を降っていた。 ハイオールド家の隣にあるルーファスの屋敷は、最近完全にフィノーラとその従者オーバラインの住処と化しており、本来の家主であるルーファスは滅多に帰ってくることはない。 行方不明か、仕事場である山頂の庵にいるかのどちらかだった。 つまり、何が言いたいかというと、隣の屋敷と違い、山頂の庵まで出向くのはかなり面倒なのである。 やっとの思いで辿り着いたら留守のことも多いから、尚更だ。 「…………」 タナトスは、ルーファスの所詮は他人事といった感じの『冷たさ』と『意地悪さ』に不満を覚えながらも、よく考えればあれがあの男らしい反応だと思い直す。 魂殺鎌が折れたことで動揺……弱気になっていたのだろう……あの男をあてにした、頼ろうとしたのが最初から間違っていたのだ。 「……三百年も待っていられるか……自力でなんとかしなければ……」 魔族や神族じゃあるまいし、三百年も寝たり、ボーッとして待つなどということはできない。 何としても、魂殺鎌を復活させる方法を考えるのだ。 今、思いつく唯一の方法は、神剣の材料である神界の石『神柱石』を手に入れることである。 「誰かの神剣を奪うなど論外だ……」 タナトスの能力的に略奪が不可能というだけではなく、他人の半身とも言うべきモノを、武器とはいえ自らの意志を持つモノを、壊し材料に戻すというのは嫌だった。 「……とはいえ、神界の石が地上にあるとは……」 「無いとも限らないですよ、『タナトス姉様』」 誰よりもよく知る声が、馴染みの薄い口調で聞こえてくる。 「……お前……あなたか……」 獣道の中から姿を現したのはクロスティーナだった。 だが、彼女はクロスティーナではない。 クロスの趣味では絶対に着ないであろう、血のように赤い刺繍の入った闇のように黒いドレスを着こなし、クロスならまず浮かべないであろう、穏やかで優しげな笑顔を浮かべていた。 「酷い姉様! わたしだけそんなに嫌わなくてもいいじゃないですか……」 クロスでありながらクロスでない少女は、酷く傷ついたとばかりに泣き崩れる。 「いや、その、嫌っているわけでは……ない……」 そう嫌っているわけでも、恨みがあるわけでもない、だが、なぜかどうしようもなく苦手なのだ。 『このクロス』は……。 「……本当に?」 上目遣いでタナトスの顔色をうかがってくる。 「ああ……本当だ……お前もクロスなんだから嫌うわけないだろう……?」 嘘は言っていないつもりだ。 それなのに、嘘を付いているような後ろめたさを感じるのはなぜだろう? 「じゃあ、あなたなんて他人行儀な呼び方しないでください。二人きりの時はちゃんと『セレス』って呼んでくれますか? クロスティーナを『クロス』と呼ぶみたいに……」 彼女……セレスティナは、宝石のように透き通り光り輝く不可思議な茶色の瞳でじぃっとタナトスを見つめた。 「……解った……セ……セレス」 「嬉しい、姉様〜♪」 セレスティナは、まるでクロスのような無邪気で素直な笑顔を浮かべると、タナトスに抱きつく。 「お……むっ……」 ここで嫌がったら、セレスティナを傷つけると思い、タナトスは彼女のしたいようにさせた。 「……じゃあ、そういうことで本題に入りましょうか、姉様〜」 しばしの熱い抱擁の後、セレスティナはパッと離れると、表情を真顔に切り替える。 まるでさっきまでの無邪気さ、好意が全て演技だったかのように思える程の切り替えの速さと完璧さ……こういう所が彼女がクロスと違うところであり、タナトスは違和感を覚えずにはいられなかった。 「ああ……で、本題とは何だ……?」 「死を司る神剣ソウルスレイヤー……姉様が魂殺鎌と呼んでいる神剣のことよ」 「むっ……」 セレスティナは、腕を組むと背後の木に寄りかかる。 「破壊のされ方が乱暴な力押しだったんですよね? ゆえに自己再生だと数百年はかかる……すぐに直すには神柱石が最低でも掌一握りは必要……そんなところ、姉様?」 「……全てお前の言うとおりだ……」 セレスティナは、まるでタナトスとルーファスとの会話を聞いてでもいたかのように、全てを的確に言い当てた。 セレスティナが左手を無造作に持ち上げると、石でできた大剣が出現する。 「……大地の刃……アースブレイド……?」 「手っ取り早いのは他の神剣を所有者から略奪して、材料を手に入れること……でも、それは嫌なんでしょう、優しい姉様は?」 「うっ……」 さっきまでタナトスが考えていたことすら、セレスティナにはお見通しなようだった。 「さて、神剣の材料たる神柱石……神界の石とか呼ばれているけど、それは今の神族達の世界のことではない……異界竜によって喰い滅ぼされた古代神達が神剣と神衣の材料に使っていた石材……それこそが神柱石……」 セレスティナはアースブレイドをしばらく振り回した後、手品のように掻き消してみせる。 「古代神は今の神族の主神を唯一の例外として実質滅んでいるし……さらに古い雲の上の存在だった超古代神族も、種族的には彼らの世界と共に疾うに滅んでいる……あ、大丈夫、姉様? 話に付いてこれてますか?」 「あ……ああ……なんとか……つまり、今の神族達の元には無いということだな? 神柱石を使っていた古い神族と、さらに古い神族は実質滅んでいる……と?」 超古代神族、異界竜……その辺の単語や物語は子供の頃にコクマからお伽噺として聞いたことがあったような気がした。 「まあ、そんなところですけど……これ以上は姉様のキャパシティ(受容力)を超えそうだから、この辺の話はまたにしましょうか……」 「ん……そうか……?」 「ええ、要は例え神界に行けたとしても手に入らないということさえ解ってくれれば問題ないですから」 「むぅ……」 神柱石は地上どころか、神界にももう存在しない。 「……お前は私の絶望を完璧にするために来たのか……?」 「まさか、本題の本題はこれからです、姉様」 セレスティナは上品だが、意地悪そうというか、悪戯っぽい微笑を浮かべた。 「神界なんて行くのが大変で、例え行けても無駄足なところを捜すよりは、地上を捜した方がまだ可能性がありますよ〜ってお話がしたいんです、姉様」 「えっ……地上にあるのか……?」 「あくまで、あるかも知れないってレベルの話ですよ。あんまり期待し過ぎないでくださいね」 セレスティナは、いいですね?と確認するように、一度言葉を区切る。 「あ、ああ……」 「じゃあ、捜しにいきましょうか、姉様! 日出る国、最果ての島……イーストエンド(極東)へ!!!」 そう言って、セレスティナは東の空をビシッと指差すのだった。 一言感想板 一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。 |